こだわりを捨てて生きていく

何事も長続きしない甘ったれ大学生が少しずつ自立していくまでの過程。

その人の生き方というのは外に滲み出るものだ


私は第一印象で「体育会系っぽいね」と言われる比率が異様に高い。というか、十中八九そう言われる。
 
 
また、それはあながち間違いでなかったりする。
 
 
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というのも、私は中学、高校共にバリバリの運動部であったからだ。どちらもまさに「The 運動部」といった雰囲気の部活であった。
 
 
その甲斐もあってか、いつの間にか私は体育会系の気質が深く染みついてしまった。
 
 
だが中身の方はみなさんご存知のように、なにかとナイーブで非常に面倒臭いやつであるので、「体育会系っぽい」と言われると「私はそんなすっきりした人ではない!」とつい反抗してしまいたくなる。
 
 
それに、少し前までは「6年間運動部入っていた意味ってあったんだろうか?」と運動部に所属していたのを後悔していたこともあった。
 
 
というのも、6年間運動部に所属していたことでなにか身についたかといえば正直、疑問だったからである。身についたと言っても、せいぜい「並以上には体力があること」、「スポーツをする際に運動を全くやってこなかった人よりはうまく立ち回れる」くらいしか思い浮かばなかったのだ。
 
 
それに、私は中高共にそれなりに打ち込んではいたが、正直どちらのスポーツもそこまでのめりこめる程好きになることはなかった。
 
 
だから、「運動部じゃなくてもっと別のことをやっておけばよかった」くらいには思っていた。
 
 
ただ最近は、6年間運動部に所属していたことは全くの無駄ではなかったんじゃないかとわかってきた。
 
 
行ってきたことの成果というものは、何も全てが目に見える形で現れるわけではない。
 
 
私の場合、それが雰囲気として現れていたのだけだったのだ。
 
 
体育会系の雰囲気と言うのは、ある方面に対してはかなり受けがいい。挨拶がしっかり身についていることや何よりも誠実そうに見られやすいためだろう。
 
 
面接をする上で第一印象と言うのはかなり重要だ。というか、第一印象の時点ですでに合否が分かれると言われることもある。
 
 
もし私が運動部に入っていなかったら、いかにも面倒くさそうな雰囲気が強調され、少なくともいい印象を持たれることはなかっただろう。
 
 
そう考えると、「運動部に入っててよかったな」と最近になって思えてきた。
 
 
他にも、「生き方が外見に現れる」ことを表す事例としてこんなことがある。


たまに、初対面の時点であらかた「この人はこういう職業に就いているんだろうな」がなんとなく分かってしまうことがないだろうか?


これも今まで積み上げた経験が知らぬうちに外見に現れているというケースだ。


人生の中で仕事に費やす時間というのは大部分を占める。


そうすれば嫌でもその仕事の性質が身に染み付いてしまうだろう。


だから、なんとなく雰囲気で「この人はこんな仕事をやっていそうだな」と分かるのだ。


特に、年を重ねていくほどそれが顕著になっていく。


外見というのは若いうちこそ、生まれついて持っているものの影響が大きいが、年を取ってからは自分が生きてやってきたことが表れる。


だから外見で人を判断するというのはある意味理に適ってるとも言えなくもないのだ。


もし、ちゃんとした人だと思われたいのなら日々の生活からしっかり生きるべきなのである。