こだわりを捨てて生きていく

何事も長続きしない甘ったれ大学生が少しずつ自立していくまでの過程。

変わった人を求める癖にいざ会ってみるとドン引く身勝手さ

 
 
「私、自分を持ってる個性的な人って好きなんだよねー」
 
 
「あー、どっかで漫画に出てくるようなおもしろい人と出会わないかなー」
 
 

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このように、心のどこかで、「変わった人」と出会うことに憧れを抱いている人は少なくないと思う。
 
 
かく言う私もそのうちの一人だ。
 
 
「漫画やアニメに出てくるような個性的で強烈な『変わった人』と出会えたら毎日楽しいんだろうなー」とまるで中二病のようなことを普段からよく考えていたりする。(まぁ、実際中二病)
 
 
けど、最近
 
 
「この考えってよくよく考えたら少し楽観的すぎるのではないだろうか?」
 
 
と考えるようになった。
 
 
このように書いてしまうとただ単に
 
 
「やっと中二病こじらせてることのまずさに気付いたか」と勘違いされてしまいそうなので念のため言っておくが、
 
 
今回「楽観的」と表現したのは「夢見がちなことを言っていた自分」に対してではなく、
 
 
 『「変わった人」は自分にとって良い影響を及ぼすという前提に考えている。』
 
 
ということに対して「楽観的 」と言いたかったのだ。
 
 
そう、そういった人はどうも『「変わった人」と一緒にいれば自分の生活は楽しくなるはず!』くらいには考えている節がある。
 
 
だが、冷静に考えれば分かると思うが「変わった人」が常に自分にプラスな影響を与える存在であるとは限らないのだ。
 
 
むしろ、自分にとって有害厄介な存在キチガイとして現れることの方が遥かに多い。
 
 
だから、あれだけ「変わった人」に会いたいと言っていたのに、実際会ってみるとドン引きするという現象が起こるのだろう。
 
 
「おいおい、あれだけ変わった人に会いたいって言ってたのに、思った人と違ってたと言うのは勝手すぎじゃないか?」
 
 
「えー、だってあれはただの変な人じゃん。私が思ってた「変わった人」とはまた違うから
 
 
こんなことを言う人はそもそも自分の中の「おもしろい人」や「変わった人」の定義すら曖昧であり、
 
 
ただの「リスクを冒さない程度に自分の日常を楽しませてくれるスパイス」くらいにしか考えていない。
 
 
そんな自分に無害で、楽しませてくれるだけの都合の良い存在などいるわけない。
 
 
だいたい、変わっている人を求める割には常識の範囲内での行動を要求している時点で既にむちゃくちゃである。
 
 
変わった人というのは平均的な人から少しズレた人のことを言うはずであり、
 
 
それなのに、一般的な人が勝手につくった常識を強要するのはおかしいだろう。
 
 
だから、誰でも受け入れる覚悟がない人は「変わってる人」に会ってみたいなどと口にするべきではないのである。
 
 
私も含めて。
 
 
いやあ、自分で言ってて耳が痛い。
 
 
それから、よく企業が『我が社は「個性的な人材」を求めています』というようなことを謳っていることがあるが、同時に「協調性のある人」要求することがある。
 
 
これもだいぶ矛盾している。個性的な人材(常識のある方に限る)といったところだろうか。
 
 
そもそも個性のない人間などいない。そりゃ似たような人間など腐る程いるが、全てが同じ人間はまずいない。
 
 
ただ、自分がどういう人間を個性的と呼ぶかだけなのだ。
 
 
まぁ、なんにしても、
 
 
安易に「私変わった人好き!」なんて言うもんじゃない。
 
 
これだけは確かだ。